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これまでに配信した、経営に関する議論を総特集いたします。今回は、ICCカンファレンス TOKYO 2016 から、「ビッグ・ベンチャーの作り方」を8回に再編集してお届けします。8回シリーズその(3)は、クラウドワークス吉田さんやラクスル松本さんらが、創業期に経験した役員の離反といった苦難を語りました。その中で得た各人の学びが印象的です。是非御覧ください。
ICCカンファレンスは新産業のトップリーダー160名以上が登壇する日本最大級の招待制カンファレンスです。次回 ICCカンファレンス KYOTO 2017は2017年9月5〜7日 京都市での開催を予定しております。参加者の募集を開始しました。
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登壇者情報
2016年3月24日開催
ICCカンファレンス TOKYO 2016
Session 1A
「ビッグ・ベンチャーの作り方」
(スピーカー)
井上 高志
株式会社ネクスト(当時)
代表取締役社長
*株式会社ネクストは2017年4月1日に株式会社LIFULLに社名変更
鉢嶺 登
株式会社オプトホールディング
代表取締役社長CEO
松本 恭攝
ラクスル株式会社
代表取締役
吉田 浩一郎
株式会社クラウドワークス
代表取締役社長CEO
(モデレーター)
南 壮一郎
株式会社ビズリーチ
代表取締役社長
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【前の記事】
【本編】
井上 弊社の場合、ブータンの国王のようなことを言うんですけれど、世の中の最大幸福を作れるのが、ソーシャルインパクトとして一番大きいなと思っています。
例えば我々のような営利企業の場合であるのならば、売上とか利益とかというのが、とても重要な指標(KPI)としてありますが、それはそれなりの社会的な価値を提供した裏づけとしての、売上とか利益であると思います。
ですから、冒頭で申し上げた「利他主義」というのがKPIで測定した時にどれくらい実現できているのか、結果として売上と利益がどうなっているのかというのは重要視しています。
これって、冒頭でご質問された「ヒト」や「組織」の戦略で言うと、弊社の採用時には、スキルやポテンシャル以上に、我々のビジョンに共感しているかどうかというのが一番重要なチェックポイントになっています。
グローバルで世の中の最大幸福が作れるようなプラットフォーマーになっていこうということに対して、「絶対やりたいです!」と言える人達を採用しています。
南 今のお話の内容は、創業期から一貫して思われていることなのか、それとも会社が大きくなるにつれて変わっていったものなのか、教えていただけますか?
井上 創業の時に火種としてはあったんですけれど、段々その火種が成長してメラメラと上がってくるみたいなのはありますね。
僕は26歳で手元資金5万円からスタートしているんですが、その頃はたった一人だったので、きっとこんな感じだよねと思いながら理念を作りました。
そして数年後には書き換えているんですよね。経営者としてのマインドセットが揺るがなくなった時に、もう一回作り変えようと思って書き直した経緯があります。
南 鉢嶺さんの場合は、ご自身が事業を始められて、会社が大きくなって上場されましたね。
今お話を聞いていると、自社だけではなく、その周辺の事業や会社も取り込んでビッグベンチャーという定義をされていたと思うのですが、その辺り、創業期から考え方が変わってきたということはありますか?
創業期から理念は変わってきたか?
鉢嶺 基本理念は5つあるんですが、創業期から一回も変わっていません。
社是が「一人一人が社長」と言って、一人一人が自立することがそれぞれの社員の幸せだという考え方がベースにあり、一社で一万人の巨大会社を作りたいというよりは、100人の会社を100社作って一万人にしたいと思っています。
社員みんながチャレンジして、会社を作って欲しいというようなイメージですね。
南 そうした創業期からのお考えを、今後も発展させていかれたいですか?
鉢嶺 そうですね。だから会社はちょうど一年前にホールディング化して、事業創造プラットフォームカンパニーという風に変えてしまいました。
広告代理店オプトは子会社の一社です。今十数社しかないですけれど、これから100社増やして、平均でいくと1兆円いくためには1社100億円ですけれど。1,000億の会社も何社かあり、十数億の会社も何社かあり、合計で1兆円に持っていこうというイメージを持っています。
南 組織を作る上で、採用時からそういうメッセージングをして、人材が集まってくるという感じなのですか?
鉢嶺 そうです。研修でも、経営者育成研修みたいなものが、我々の研修プログラムでは最高峰に位置づけられていて、そこを卒業しないとグループ会社の経営陣にはなれないということになっています。
南 松本さんは同じ時期に創業されて、先程マヨネーズの話にもありましたけれども、結構最初から、インフラという言葉がキーワードとして出てきていますよね。それは起業の時点で、ビッグベンチャー作りにおけるキーワードだとお考えだったのですか?
松本 ラクスルの場合は、自分達がどうあるかということには一切フォーカスしていなくて、「仕組みを変えれば世界がもっとよくなる」、「世の中の仕組みを変えていこう」ということを考えていました。
古い産業の中にインターネットというツールを持ち込んで、産業のあり方やバリューチェーンを変えて、新しい価値を作っていこう、20世紀型の産業構造を、21世紀型の産業構造に作り変えていこうという、どちらかというとミッションに近いようなことを実現するための組織がラクスルなんだと思っていました。
メンバーにどうなって欲しいということは一切ないんですね。
もしかするとタスクフォースなのかもしれないですけれど、世の中を変えていく、世の中をよりよくしていくために、ラクスルという会社に集って欲しいという思いです。
ですので、創業を決めてDay1からビジョンはあって、ずっとぶれずにやってきていますし、採用の面においても、世の中をどうするかということに対して強い意志を持っているメンバーのみが同じ船に乗って、このミッションに取り組んでいるかたちですね。
マネジメントに失敗し、創業期に社員が大量離職
南 採用時に特に気をつけてられてることはありますか?最初のお二方のお考えは、松本さんのお考えと少し違ったように感じましたので。
松本 私は、過去採用にすごく失敗したこともあります。ちょうど24歳の時に、井上さんのようにワンルームマンションの一室から初めたので、南さんの会社のようにいきなりマネジメント経験のある優秀なメンバーがいたわけではありません。
彼らももちろん優秀でしたが、どちらかというと20代で、学生プラスアルファベンチャーみたいなところからスタートしましたので、「人」の部分に関しては、共有したビジョンをエグゼキュートできる組織なのかどうかという点で、かなり試行錯誤しながらやっていましたね。
吉田 ところで、役員が結構辞められたじゃないですか。そこからどう立ち上げていかれましたか?
松本 いいご質問ですね。
吉田 僕も、やはり一回目の会社で役員が抜けたからこそ学んだことって結構あるんですよね。
彼(松本さん)とは結構長いんですけれども、やはりそういうところ(浮き沈み)があるじゃないですか。
役員が辞めて、そこからどう立ち上げていったのかについて、最近の話を聞かせていただきたいですね。
松本 あまりいい抜け方ではなかったのですが取締役が抜けて、その後結局、別の取締役や役員が入ってきました。
今までは、どうしてもメンバークラスから会社を作っていこうとしていましたが、これをきっかけに作り方をがらっと変えて、役員から揃えるというやり方にしました。
役員を揃えてメンバーを揃えて、その後にミドルマネジメントを入れるというやり方です。役員の部分に関しては…
井上 何人くらいいつ頃辞めたんですか?
松本 15人いた会社で5人辞めました。
井上 5人辞めた?
松本 5人辞めて、その間に7人入って、人はぎりぎり増えていたんですけれど、
井上 どうして辞めたんですか?
松本 売上高は急成長する中で、多分 私のマネジメントに問題が多々あっただろうなと思っています。
あとは、自分自身にもマネジメント経験がなく、そもそも会社にマネジメントがなかったんですよね。
吉田 基本はA.T.カーニーのコンサル出身なので、詰めキャラなんですよ。(笑)
役員の離反で理念の重要性を痛感する
井上 そこからマネジメントスタイルなどを変えられたのですか?
松本 距離を置いて現場を見なくするというのをやりました。
吉田 井上さんは、一回現場から離れて、自分が一切口を出さないということをされたご経験はありますか?
井上 あります。
吉田 それはいつくらいでしたか?
井上 それはケースバイケースで、委ねてからずっと離れっぱなしではなくて、状況を見ながら現場に入る時と、任せきって何も言わないという時とを、わざわざ振り子のように作っています。
吉田 部門や事業にもよると思うのですが、どれくらいのスパンで委ねられますか?
井上 大体、モードチェンジするのは、オリンピックイヤーな感じですよね。3〜4年に1回くらい大きくモードチェンジしてプンッと振る感じですかね。
南 井上さんは、一回人が大量に抜けるとか、あるいは会社が猛烈に傾いたといった、大変なご経験をされたことはありますか?
井上 最初の失敗としては、会社を作って3年位の時に、役員が、社員を引き連れて辞めていったということがありました。いれゆる喧嘩別れですね。
その時に、やはり経営理念や、コミュニケーションレベルでいうと、三階層くらいある中の本当に本音のところで繋がっていないとダメだなっていうのをものすごく強烈に感じた記憶があります。
普段は「俺たち頑張ってるよな」とか「売上 伸びてるぜ」とか「いい人入ったね」とかすごく上っ面な会話をしているんですよ。こんなものだろうと思っていたんですが、違ったなというのが素直に分かりましたね。
吉田 私も、一回目の会社は、国内で収益を出してベトナムに投資するという形で結構お金も儲かっていましたが、事業がたくさんありすぎて、気づくと理念もへったくれもなくなってきていたんですよ。
それで先程仰っていたのと同じことになって、役員が取引先を持っていってしまった時に、やはり理念が一番大切なんだということを改めて痛感しました。
日々の振り返りと、この会社でしかできない夢の設定が一番重要なんだなということで、2回目の起業時に「働くを通して人々に笑顔を」というビジョンを練りに練り、今に至って使っています。
井上 当時は、どのくらいの規模だったのですか?
吉田 私の会社は、日本とベトナムで15人くらいでした。
受託やコンサルで稼ぎながら自社事業をやるというスタイルでした。
逆に、投資を受けずに自己資金と融資だけでやっていたので、そういうスタイルになりますよね。受託の収益を投資するような、ありがちな最初の形です。
井上 本音のところ、その時はどういう風に感じていましたか?
裏切られた引き抜かれたみたいな感じですよね?
吉田 Gメールを管理者アカウントで見たら、半年前くらいから準備されていて、「私にはこのクライアントのこの仕事任せておいて下さい。吉田さんはベトナムの仕事が大変だと思うので、集中して下さい。」という風に私に言っておいて、クライアントには、「吉田さん、どうして来ないんですかね?」と。
ベンチャー企業にありがちなケースですね。
井上 それ、うちのケースとそっくりですね。
吉田 そうですか?(笑)
井上 しかも人数も20人から25人くらいだから、同じような規模の時ですね。
吉田 任せ方というのは難しいですよね。任せすぎるとそうなるので。
井上 そこは鉢嶺さんのところはすごく上手にやってきた感じですよね。みんな残っているから。本当のところはどうなんですか?
鉢嶺 そういう、裏切られたというのはあまりないかもしれないですね。
井上 しかも創業以来の役員が結構残っていますよね?
鉢嶺 そうですね。恵まれましたね。
親友でも「普通の中途社員と同じ待遇でやるからね」
井上 それはどのようにされたからなのですか?
鉢嶺 どうやったという訳でもないですが。
南 役員同士はどういう関係性なんですか?
今でもよく飲みに行く関係なのか、それとも仕事は仕事、プライベートはプライベートという感じなのでしょうか?
鉢嶺 どちらかというとそうです。プライベートと仕事は全然別だったかもしれないですね。
だって今日来ている野内とかは、前の森ビル時代から親友だったんですけれど、むしろ会社を起こしてから飲みに行く機会は減ってしまいましたね。
井上 スタートアップの時点では親友だと思いますが、どこで親友から仕事仲間へとモードが変わるのですか?
鉢嶺 やっぱり僕も松本さんと同じようにマンションの一室でスタートして、野内が来てくれるようにずっと口説いていたわけです。
ただ、ようやく来てくれた時に、もう既に10人くらい社員がいたので、「来てもらえるのはすごく有難いし、パートナーだと思っているけど、普通の中途社員と同じ待遇でやるからね」と伝えました。
吉田 そうなんですね。
鉢嶺 それを了承の上で来てもらっていますので。その後の海老根も、普通の社員と全く待遇が同じで、役職もヒラから始めましたが成績がメキメキ上がっていきました。
大企業を辞めて来ているわけだから、当然腹も据わっていて成果が出るわけです。
それを見た周りの人が、野内さん、海老根さんはやはり役員になるべきですよね、と評価して、どんどん上がっていくわけですから、やり易かったんじゃないかなと思います。
(続)
続きは 中途社員をいきなり要職に据えるな – オプト鉢嶺氏らが語る「パラシュート人事」の危険性 をご覧ください。
https://icc.dvlpmnt.site/special/12152
編集チーム:小林 雅/榎戸 貴史/戸田 秀成/Froese 祥子
【編集部コメント】
続編(その4)では、幹部の登用をどのように行っているか、各登壇者にポリシーを語って頂きました。ビズリーチ南さんが楽天三木谷さんから受けたアドバイスが勉強になります。是非ご期待ください。他にも多く記事がございますので、TOPページからぜひご覧ください。
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