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4. スルタン(皇帝)と執行の分離、実力主義で繁栄したオスマン帝国

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「新シリーズ 歴史から学ぶ「帝国の作り方」全10回シリーズ(その4)は、世界に類を見ない、オスマン帝国独自の人材活用についてCOTEN深井さんが解説します。そして、長らく繁栄した帝国の滅亡を招いたある機能とは? 帝国の栄枯盛衰からは、組織が学べることがいかに多いかわかる内容です。ぜひご覧ください!

ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回200名以上が登壇し、総勢800名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回ICCサミット FUKUOKA 2021は、2021年2月15日〜2月18日 福岡市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。

ICCサミット KYOTO 2020のプレミアム・スポンサーとして、Lexus International Co.様に本セッションをサポート頂きました。


【登壇者情報】
2020年9月1〜3日開催
ICCサミット KYOTO 2020
Session 5B
新シリーズ 歴史から学ぶ「帝国の作り方」(90分拡大版)
Supported by Lexus International Co.

(スピーカー)
石川 善樹
株式会社Campus for H
共同創業者

宇佐美 進典
株式会社CARTA HOLDINGS 代表取締役会長 / 株式会社VOYAGE GROUP 代表取締役社長兼CEO

北川 拓也
楽天株式会社
常務執行役員 CDO (Chief Data Officer)

深井 龍之介
株式会社COTEN
代表取締役

山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長

(モデレーター)

琴坂 将広
慶應義塾大学
准教授(SFC・総合政策)

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最初の記事
ビジネスカンファレンスでなぜ「帝国の作り方」を議論するのか?

1つ前の記事
オスマン帝国にあって、ローマ帝国にないこととは? 優秀な君主が10代続いた理由

本編

オスマン帝国繁栄のポイント③ 出自を問わない人材活用

深井 オスマン帝国の繁栄の3つ目のPointが「出自を問わない人材活用」です。

深井 オスマン帝国には「デヴシルメ制度」と言って、皇帝が自分直属の奴隷を大臣にするという制度がありました。

今の説明だけでは分かりにくいですよね。奴隷というと黒人奴隷などを想像されるかもしれませんが、世界には様々な奴隷のパターンがあります。

イスラム世界、とくにオスマン世界における「奴隷」とは身分ではなく、「誰かの所有物である」「自由人ではない」ということです。

スルタン(王)の奴隷であれば、奴隷であっても結構偉いのです。なぜなら、スルタンが偉いからです。一般人より偉いので話しかけることはできません。

コンスタンティノープルを征服したメフメト2世の時代に、大臣全員がイスラーム法の法学者で、偉い学者のエリート家系の人たちだったというのは自然なことです。

この大臣たちの権力を全部削いで、自分直属の奴隷を大臣に据えていき、権力交代に成功したのがメフメト2世です。

北川 へえ、面白い!

琴坂 なぜ成功したのですか?

深井 コンスタンティノープルを征服したからです。

コンスタンティノープルを征服しようとした時、当時の大臣たちは皆反対しました。それはそうですよね?「なぜ20歳の皇帝がリスクを冒してまで、そんな危ないことをするんだ?」という話です。

「もし失敗したり、十字軍が攻めてきて滅ぼされたりしたらどうするんだ?」「もっと別に安全策がたくさんあるでしょう?」と反対されるのですが、それを敢えて押し切り成功させ、反対した人たちを後に全員処刑しました。

北川 メフメト2世は大臣に裏切られたりしていませんでしたか?

深井 裏切られているのですが、この場合はライトな裏切りでした。

大臣はメフメト2世を裏切りたいと思っていたわけではなく、「十字軍が来たら本当に危ない」「コンスタンティノープルの防御はかなり強固だから失敗するぞ」と本当に危険を感じていたのです。

山内 2~3回失敗していますよね。彼の祖父であるメフメト1世も失敗したと聞いたことがあります。

深井 そうです。コンスタンティノープルは代々包囲しているのですが、落とせていませんでした。

大臣たちは、「この若造ができわけないだろう」と皇帝の実力を疑問視しており、皇帝がそれを押し切って進めようとすると、コンスタンティノープルと内通して勝手に和平交渉を進めようとしました。

メフメト2世はそれが裏切りだと言って、処刑し権力を交代したのです。

琴坂 ではそれ以降は、完全な能力主義でどんどん新しい人を採っていくのですね。

戦争孤児を奴隷とし、一極集中の中央集権国家を確立

深井 それ以降は、コンスタンティノープルを落として、その先にあるバルカン半島、つまり今のギリシャ、ブルガリアがある辺りの戦争孤児を集めて奴隷にしました。

キリスト教の子どもたちをムスリムに改宗させて育てて教育し、非常に優秀な人は官僚、普通の人は兵士、ダメな人はたぶんそのまま捨てられてしまうと思いますが、そういう形で配属していきました。

そうすると、大臣になる人には親戚がいないので、漢帝国でよく起こっていた大臣級や皇后などの親戚が王権を脅かすという現象が、オスマン帝国では起こりませんでした。

琴坂 では、スルタンの家系以外は貴族がいなかったということになりますか?

深井 そうです。貴族はほとんどいない状態になって、メフメト2世の時代に一極集中の中央集権国家を作ることに成功しました。

石川 基本的に、大臣は一代限りということなのですね。

深井 はい。

琴坂 面白いですよね。創業者の一族だけは脈々と続く一方で、それ以外の人は実力制でどんどん入れ替えていくという構造が完成されたということですね。

石川 オーナーと経営が分離されているということですね。

北川 確か、ユリウス・カエサルが殺されたのも内輪揉めが原因でしたよね。

深井 カエサルは、権力を持ちすぎて周囲の抵抗にあいました。要は秦の始皇帝と同じような感じです。

権力交代というか、権力構造や国家構造が変わった瞬間にものすごく大きな反動がくるので、その反発を一身に受けるとカエサルのように殺されてしまいます。

琴坂 しかも面白いのは、スルタンが自分で決めずに大臣が決めている点です。

そうすると失敗しても彼らの責任になり、王の責任ではないわけですよね。そこはいわゆる権力の分解で、王たちは自分たちを保全することができたのですよね?

深井 そうですね。権力を完全に確立した後にそのスタイルにしました。

経営を完全に大臣に任せて、皇帝は隣りの部屋で会議を聞いてもいいというようなスタイルです。

大臣は、皇帝に聞かれているかいないか分からないという緊張感の中で国家運営をしていました。

北川 皇帝の耳に入っているか入っていないか分からないような感じですね。

深井 本当にそんな感じです。

琴坂 これは国家が続く法則の1つですよね。権力を脅かすものがあればそれを取り上げなければならないという意味では、巧妙ですね。

宇佐美 オスマン帝国の皇帝は終身制ですか? メフメト2世の父親は自ら退位を選んだという話もありましたが。

深井 基本的には終身制です。自ら退位する人は本当に変わり者ですね。

権力構造に干渉しない常備軍を保有する

深井 そして、「イェニチェリ常備軍」を同じく奴隷で組織します。

常備軍を作るには、実はものすごくお金がかかります。ですからオスマン帝国の時代のヨーロッパでは、常備軍を持つ国は少なく大抵が傭兵でした。

戦争するとなったときは、お金を払って騎士階級の人たちを一斉に集めていたのです。この方法の弱点は、例えばクーデターが起こったときなどに瞬時に対応できないところです。

一方で、常備軍を持つということは、自分の命令ですぐに動ける人たちが常にいるということを意味します。これもスルタンの権力増強の秘訣です。

また、常備軍の人たちは皆もともと奴隷なので権力構造に干渉することがありません。

宇佐美 ローマ帝国もそうですが、これって社長室にメンバーをどれだけアサインするかに似ていますね。

事業部やグループ会社がたくさんあって、それぞれがやりたいことを色々とやっていると、いざ新しいことをやりたいと思ったときに、なかなかできないですよね。

そんなときに社長室に開発チームがいると実は結構やりやすいのですが、それだけ人がいると、「どうして社長室に、動いていない人たちがそんなにいるの?」と言われてしまいます(笑)。

石川 ものすごくお金がかかるパターンですよね(笑)。

権力が固定化されると、必ず既得権益化が起こる

深井 往々にして、帝国におけるこういった存在は、創設当初はとても機能するのですが、必ず腐っていきます。トルコ共和国ができる直前のオスマン帝国では、結果としてイェニチェリが近代化を邪魔することになりました。

琴坂 その構図はどうなっているのですか? なぜそれが腐るのですか?

深井 既得権益ができていくからです。創設された当初は彼らにも既得権益であるという感覚はないのですが、権力が固定化されると必ずそれが既得権益化されていきます。

そうすると人間はそれを守ろうとして、その構造を壊そうとするものを攻撃しようとします。でも、壊そうとする力学は、オスマン帝国にとって必ずしもマイナスなものとは限りませんよね?

ひょっとしたら、その改革はオスマン帝国にとってよいものかもしれません。にもかかわらず、頑なにその既得権益を守ろうとするがために逆に腐っていくのです。

琴坂 しかもここだけ特殊な力を持つわけですよね。武力という最も大きな権力を。

深井 ちやほやされます。イェニチェリはエリートですから。

琴坂 だからそこにだけある種のパワーのアンバランスが生まれて、ひずみを作ってしまったのですね。

深井 そうですね。

山内 ちなみに織田信長の軍団には、旗本のような人が800人ぐらいいて、しかもそれは常備軍で非常に強かったと聞いたことがあります。

深井 当時の日本は、各大名や武士などが自分たちお抱えの兵士を持っていました。ローマも一緒ですが。

一方で、中国やオスマン帝国には官僚的制度があって、国家に士族ではない軍隊が付属しているという感覚です。

山内 家を継げない三男坊などを金で雇ってきて軍事訓練ばかりさせていたという話を聞いたことがあります。その800人が怖くてみんな戦争をしていたそうです。

深井 やはり、そういう権力の押さえ方もされたのでしょうね。

琴坂 確かにそこは一般化できるところがありますよね。

自分だけの力を持つことによって、他の勢力に対抗できるようになるので、安定化していく仕組みを作ったのかなという感じがしますね。毎回実力主義で登用しても、もたないわけですからね。

深井 ここまで具体的にオスマン帝国の話をしてきましたが、ここからはそれを踏まえて自由に議論していきたいと思います。

琴坂 そうですね。ありがとうございます。前半はオスマン帝国を舞台に議論していきたいと思いますが、危機などはなかったのですか?

コンスタンティノープルの陥落が転換点でしたが、それ以外に帝国になり得なかった瞬間はありますか?

(続)

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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/小林 弘美/戸田 秀成/フローゼ 祥子

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