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4. ビジネスのための読書にこそ、文学的な読み方を取り入れよう!

「新・大人の教養シリーズ「読書」〜ビジネスパーソンこそ本を読め!」9回シリーズ(その4)は、実用性だけを求める読書に、”本読み”たちが、物申す! 検索エンジンや他者の思考回路に頼らない、読書の愉しみを提案します。音読の意味や、この議論が行われた福岡にまつわる物語まで、ひたすら広がる読書談義を、ぜひお楽しみください!

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ICCサミットは「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回200名以上が登壇し、総勢800名以上が参加する。そして参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うエクストリーム・カンファレンスです。次回 ICCサミット KYOTO 2020は2020年8月31日〜9月3日 京都市での開催を予定しております。参加登録は公式ページをご覧ください。

ICCサミット FUKUOKA 2020のプレミアム・スポンサーとして、Lexus International Co.様に本セッションをサポート頂きました。


【登壇者情報】
2020年2月18〜20日開催
ICCサミット FUKUOKA 2020
Session 11D
新・大人の教養シリーズ「読書」〜ビジネスパーソンこそ本を読め!
Supported by Lexus International Co.

(ホスト)
嶋 浩一郎
株式会社博報堂 執行役員 /
株式会社博報堂ケトル エグゼクティブクリエイティブディレクター

(ゲスト)
天沼 聰
株式会社エアークローゼット
代表取締役社長 兼 CEO

井上 大輔
ヤフー株式会社
マーケティングソリューションズ統括本部 マーケティング本部長(肩書は登壇時当時のものです)

蛯原 健
リブライトパートナーズ 株式会社
代表パートナー

山内 宏隆
株式会社HAiK
代表取締役社長

渡邉 康太郎
Takram コンテクストデザイナー /
慶應義塾大学SFC特別招聘教授


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最初の記事
1. 6人の「本読み」が集結! 自分にとっての1冊&読書遍歴を熱く語る!

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3.「人間の基礎体力を鍛えるためにフィクションを読もう」リブライト蛯原さんの主張

本編

井上 渡邉さんは「誤読」と今回のICCでよくおっしゃっていますが、それは作品に対して、いろいろな解釈ができればできるほどパワーがあるということでしょうかね。

9. “誤読”で生み出された「時間の測れない砂時計」の物語

 そうですね。渡邉さんはおそらく後ほどお話しされると思いますが、『コンテクストデザイン』という本を書かれていて、作者の意図とは違う意図で読者は読んでしまうけれども、それはそれで文化として、多様な解釈がどんどん世の中に生まれていくことは議論を生むので、それは文化として非常に歓迎すべきことである、とおっしゃっています。

コンテクストデザインとは(note)

渡邉 まさにそういうことですね。

 それで「誤読」すればするほど面白いということですよね。

日本の寿司をアメリカ人がカリフォルニアロールにしてしまったり、原理主義者からすると「それは寿司じゃないじゃん」と思うかもしれないけれども、そういう風に勝手にどんどん解釈されて広がっていく方が文化としては面白いということですよね。

完全な理解が不可能なものに、解釈を与える

Takram コンテクストデザイナー / 慶應義塾大学SFC特別招聘教授 渡邉 康太郎さん

渡邉 はい、面白いと思いますね。

すみません、ちょっと巻き戻すんですけれども、今の井上さんの詩の朗読の中で惹起された、僕が好きないくつかの詩のことを思い返しても良いでしょうか。

井上 いいですね。

渡邉 フランスの詩人、ジャック・プレヴェールに「花屋で」 (Chez la fleuriste)という詩があります(『プレヴェール詩集』『ことばたち』に収録)。

すごく素敵な詩で、男性が花屋で花束を一つ求めるのですが、どうも心臓発作が起こってしまったようで花束を落としてしまうんです。

本当は店員にコインを渡そうとしていた、その手からコインがこぼれ落ちて、床の上でずっとコインが回り続ける。その間、花が少しずつ枯れていく、という、これは永遠なのか一瞬なのかというのがよく分からない時間経過を何行にも渡って綴っている詩です。

それに近いものを感じました。

井上 そうですね。そういった情景(シーン)を、知性の一つのあり方として理解するというのがあるかと思います。今の渡邉さんのお話や、さきほど朗読した詩というのは、おそらく完全な理解は絶対に出来ないのです。

ですので、そこから何か色々な解釈をして色々なものを生み出すということが、違う知性のあり方なのではないかと思いますね。

意味が分からないものを意味が分からないからといってパッと捨ててしまうのではなく、そこにどういった解釈を加えるかという楽しみ方をすることは、人文科学やアートの世界では一般的ですが、ビジネスの世界でもそういった本の読み方があっても良いのかもしれないですね。

ビジネスの中で読まれる読書というのは、前者の読書が圧倒的に多いのですが、もっと「後者」的な読書をしていっても良いのではないでしょうか。

周囲のものがすべて「分かる」生活は貧弱

(右)株式会社博報堂 執行役員 / 株式会社博報堂ケトル エグゼクティブクリエイティブディレクター 嶋 浩一郎さん

 意味が分からないものを意味が分からないまま受け入れるとか、分類できないものを分類=Miscellaneous(雑多な、分類できない)のまま身体の中にため込むといったことは、絶対にその後、化学変化が起きますので、すごくいいですよね。

「意味が分からない」というのをネガティブに捉えるより、「意味が分からないものの方がこれから価値が生まれるに違いない」ということです。

既に誰かが分類しているものは、それに誰かが価値があると思っているからあるフォルダにいれて分類していくわけで、でも今まだ価値が分かっていないものというのは分類できないわけです。

ポラロイドという会社に昔、Miscellaneous Laboratory、つまり”分類不能研究所”というのがありました。

ここは「何のジャンルか分からないけれども、とにかく研究しよう」ということをやっていて、そこからポラロイドカメラや色々なものが生まれました。

分類できないものの価値や解釈できないものの価値という、「分かりやすさ」を今の人達は求めるけれども、「なんだか分からない」というものをどんどん身体の中に取り込んだ方が人はクリエイティブになれると思います。

渡邉 確かに、「あ、分かる」と思った時点で、それはリスクですよね。

分かりたいと思うことは人間にとって当然の欲望ですが、周囲のものがすべて「分かる」という生活は、実はとても貧弱です。分からないものに埋もれていないと、新しい気づきや認識が得られません。パターン認識的に分かろうとせず、分からないもの向かっていって、しばし判断を保留することも大事です。

 後で話に出てくるかもしれないですが、インターネットの検索というのは既にその言葉に価値があると思っているから検索するわけじゃないですか。

それに対して読書は、読むまで何があるか分からないという状況でコンテンツと接するので、そういうふうに、最初から価値を規定しないで身体の中に入れられる情報というのは、すごく価値があると思うんですよね。

渡邉 おっしゃるとおりですね。東浩紀さんが『弱いつながり』という本の中で言っていることがまさにそれです。我々はGoogleの検索にもAmazonの買い物にも依存していて、それはもはや変えることは出来ません。

問題は、そこで導かれる答えが全て同じになってしまうことです。みんな同じように暮らして同じようにプラットフォームを利用していると、同じ結果しか出てこない。GoogleやAmazonを置き換えられないからこそ、遠くの旅に出よう、と言うんですよね。

検索する言葉(ワード)が変われば、エンジンが同じでも結果が変わってくるから、できるだけ遠くに行こう、と。

蛯原 先ほど僕が言った「英語で情報収集する」というのはそれに通じるものがあります。

ものの考え方や視点がかなり変わってくるんだろうなと思うんです。

お待ちかね!渡邉さんの読書(音読)トリビア

左から、ヤフー株式会社 マーケティングソリューションズ統括本部 マーケティング本部長 井上 大輔さん / リブライトパートナーズ 株式会社 代表パートナー 蛯原 健さん / 株式会社HAiK 代表取締役社長 山内 宏隆さん

蛯原 あと思ったのですが、渡邉さんと井上さんは詩がお好きなんですか?

井上 僕は詩は好きですね。

山内 詩を詩で返していましたもんね。

蛯原 ちょっとお聞きしたいのですが、当たり前なのですが、本を読むときは黙読ですよね?音読はしないですよね。

渡邉 しないですね。

蛯原 でも頭の中で音を出しますか? 僕はすごく出すんです。読んでいて音が汚い文章というのは僕は嫌いなんです。

一同 ああ、それは分かりますね。

蛯原 詩の楽しみ方というのは半分くらいそれかなというのは、僕は感じますね。

渡邉 僕もそう思います。

 読書の歴史の中で、17世紀までは「本を読む」ということは「音読する」ということで、グーテンベルクが活版印刷を作るまでは、本はほぼ音読されていたという話があります。

渡邉 ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』に、修道士達が皆大きな本を開いて、一蘭のラーメン屋ではないですが、個人のブースで読むというのがあります。読書の声で隣の人の邪魔をしないためなんですよね。みんな必ず声を出していたから。

 本当に声を出して読むと、『古事記』や『日本書紀』に出てくる神様の名前もすごく発音しづらいじゃないですか。ホノニニギ(※)とか。

でもあれを音読すると、なんとなく意味が分かるというか、「あ、この神様は植物の神様だからこういう名前がついているんだ」とか、なんか音読をする意味があるかなと思います。

▶編集注:ニニギノミコト。『古事記』に登場する神道のアマテラスオオミカミ(天照大御神)の孫に当たり、五穀豊穣や稲穂の神とされる。名前には「稲穂」「にぎにぎしい」という意味がある。

井上 詩はヴァレリー(ポール・ヴァレリーはフランスの作家。 1871年10月30日〜1945年7月20日)までずっと韻文だったわけじゃないですか。

世界最古の文学の一つであるホメロスの『オデュッセイア』は全て叙事詩ですよね。それは音読で伝えていたからということなんですね。

韻文の方が覚えやすいから、それを口頭伝承して伝えていった結果そうなった、ということで、もともとはすべての文章は詩だったのかもしれませんね。詩として音読される文章の方に、人類はより長い間親しんできたということなんですね。

渡邉 そうですね。ホメロスも盲目だったという話がありますが、やはり音に対する感度が高い人達というのは語り部として活躍していたんでしょうね。

何故 『オデュッセイア』が韻を踏んでいるのかというと、やはり覚えるためだったという話があります。

井上 そういうことでしょうね。

渡邉 「美しい娘」というときの「美しい」や、「勇敢な兵士」というときの「勇敢な」などの形容詞は実はあまり意味がないらしいんです。

語呂のために、リズムを作るために挿入されているだけで、勇敢かどうか、美しいかどうかというのは実はストーリーにあまり関係がないんです。

それは韻を踏むのと音節を合わせるために挿入された言葉であるという話がありますね。

井上 こんなような話を2日前に飲み屋でしていまして。

 なんだ、そのロマンチストは(笑)。

(一同笑)

井上 ちなみに余談ですが、スターバックスのロゴの女の人はセイレーンですが、セイレーンというのはサイレンの語源です。

スターバックスのロゴに込められた意味は? 広報さんに聞いてみた(マイナビニュース)

あのセイレーンというのは、先ほどのホメロスの『オデュッセイア』に出てくる、海で英雄オデュッセウス、英語読みだとユリシーズを誘惑する人なのです。

ユリシーズは戦争に行って帰って来れなくなってしまって、更に海の魔女のセイレーンに捕まって、何十年も帰って来れなくなってしまったのですが、家に帰ったら奥さんがきちんと不貞もせず留守を守っていたという、簡単に言うと『オデュッセイア』はそういう話なのです。

全く同じ話、ほぼ同じフォーマットの話が日本にもあるんですよね。

まさに僕らが今いる、九州地方の福岡にありまして、その物語の名前が「百合若」(ゆりわか)というのです。

百合若大臣(まんが日本昔ばなし〜データベース〜)

ユリシーズに少し近い、というその話は『百合若大臣』といいますが、それを「とりかわ大臣」という飲み屋で話していた、というのが一昨日の出来事です。

 (笑)この話はどこから始まったんでしたっけ。

次に行ってみましょう。山内さん。

(続)

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続きは 5. HAiK山内さんが元上司から言われた「3,000冊読書」の真意とは をご覧ください。

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編集チーム:小林 雅/浅郷 浩子/フローゼ 祥子/道下 千帆/戸田 秀成

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